
お役立ちコラム

香典、正確には「香奠」と書きます。「奠」の字は上の部分が酒、下の部分、大の字は供物を置く机を指します。字義として、酒や供物を供えるということになります。
香典/香奠とは、お香を供えることを意味します。
言語政策によって、日常になじみにくいために奠の字を避け、同じ音で雰囲気のある「典」に書き換えられるようになりました(昭和31年、国語審議会から文部大臣に報告)。典自体には「礼、儀礼」の意味があります。
そのために、本来の意味が失われてしまったように思えます。あくまでも「香を供える」ものという理解が正確ではないでしょうか。
では、香を供えるとはどういうことでしょうか。

現代では、お焼香で使用する抹香であったり、お線香であったりします。
仏教では、「三つ具足」・「五具足」といって、例えば本堂でご本尊にお供えするもののパターンが決められています。ろうそくの火、花、香、の三つであり、五具足という場合には、香を中心に置き、左右にろうそくと花を一対として並べます。
人が亡くなると、枕飾りといって、枕元の白木の経机(きょうづくえ)に三つ具足がお供えされます。ここで、香が何を指すでしょうか。
お線香であり、焼香の抹香でもあるのですが、実は花が香の役割を同時に兼ねているのです。
地域によって、死者に供える花として樒(しきみ)が定番であり、樒は「香花」(こうばな)とも呼ばれます。
亡くなったら「ホトケ」になるから、仏様、ご本尊と同じようにお供えをするという理屈も成り立ちますが、それ以上に線香などの「香」や樒が供えられたのは、形式的ではなく、実際に必要性があったのです。
昔、ドライアイスが一般化していませんでした。現代は必ずといっていいほど、人が亡くなると、ドライアイスを当て、体を冷やすことで腐敗の進行を極力抑え、火葬を待つことになります。普及していなかった時代、ご遺体を氷を使って冷やそうとしても、夏場でありすぐに溶けて仕方がなかったとの記述も文学作品にみられます。ドライアイスの代わりとして、スーパーアイスと呼ばれるものも登場していますが、用途は同じです。
冬場ならまだしも、春を迎え、温かくなるにつれ、腐敗の様子が鮮明に見え、鼻を塞ぎたくなる異臭、まさに腐敗臭が発生していきます。
夏場については想像を絶するほどではなかったかと思われます。そのために線香の火を絶やしませんでした。
「寝ずの番」ともいって、深夜も火を絶やさないように身内の者が交代で線香を見張っていました。やがて、巻線香といって、12時間もつものが商品化され、人々は解放されていきます。顔に掛ける白色の布、「面布」はもともと、変わり果てていく故人の顔を人目にさらさないようにするためだったとも考えられます。

一日中、そして埋葬までの数日間、においを紛らわせるための「香」であるため、量が少なくては困ったのでしょう。隣組など近所、講の仲間がこぞって葬家に香を持ち寄りました。以上の説明はありふれたものかもしれません。
では、それ以前はどうだったのでしょうか。
遠い昔、「殯」(もがり)と呼ばれる習俗がありました。おそらく、貴族クラス以上でしょう。死者を寝かせるため、家の外に小屋を建て、一定期間、そこに寝かせ、生前と同じように食事を供えていたということですが、死者の周りを樒でおおっていたそうです。
匂い消しの役割以上に期待されたのが、樒の毒性を用いた、動物除けだったようです。樒(しきみ)は「悪(あ)しき実」が訛ったとの説もあります。
やがて、殯の習慣が消え、名残りとして樒を墓前に供えるという行為が生まれたようです。
葬儀事において、ひとつのものが複数の意味をもっていることはよくあります。
現代、香典/香奠といえば誰しもが、葬儀において葬家に渡すお金という回答しか持ち合わせてないように思います。「香である」、「米である」といえば、「大丈夫?」と言われてしまうかもしれません。
香奠はもともと、米であったという説明もみられます。
間違ってはいないのでしょう。現代のように葬儀社が一切を手配してくれる時代でなく、身内と、隣組や講中の人々総出で数日間、葬儀に専念するため、それだけの食事のためにお米が必要とされていました。
地域によって、香典とは別に、米を持参していたとの報告もみられます。
線香であれ、米であれ、助け合いの精神から香奠は続けられてきていました。今、貨幣経済が進み、葬儀代の負担の軽減のためとして現金のみになったといっても過言ではないでしょう。
地方によっては葬儀場で、「香典辞退」との文言が目立つようになってきました。
もちろん、葬儀社が勧めているのではなく、葬家ごとの意向であるために、いいか悪いかの判断は避けるべきとは思います。
この傾向が進んでしまうと、地域によっては香典辞退でないと恥ずかしいとの価値観が生まれてしまうかもしれません。
多数が正解といった、数の原理に従えば、仕方がないかもしれませんが、助け合いの精神が失われていくことは由々しき事態ではないでしょうか。
香典/香奠の名称はそのままにして、中身は時代ごとに、また地域ごとに変遷を繰り返してきました。今後も金銭に代わる何かが登場するかもしれません。
何よりもご参列の方、個人個人のお気持ちが大切であることは今後も変わっていって欲しくないと願っています。
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